携帯キャリア大手のauは元々トヨタ

記事内に広告が含まれています。

過去10年間で変わりゆく携帯キャリアの歴史

今では日本の携帯(スマホ)キャリアビッグスリーと呼ばれるdocomo(NTT)、au(KDDI)、ソフトバンクモバイル(ソフトバンク)…。かつてはTU-KAなんて懐かしいキャリアもありましたが、そのへんを知っているのは30代以上の人たちでしょうねぇ。まぁ完全にIDO(auの前身)なんて知らないでしょう。

今の教習生に「J-PHONE(ジェイフォン)って知ってる?」と聞いてみても「何それパチモンのiPhoneですか?」と逆に聞き返されてしまうレベル(笑)まぁポケモンの世代に関しても私は「赤・緑」でしたが、今ではほとんどの人がルビサファ世代ですからね。時の流れってそんなもんです。

同じように私が高校生の頃は携帯キャリアと言えばdocomo、IDO(日本移動通信)、J-PHONEでした。IDOは2000年10月にDDIと合併してKDDIに(ここでauになる)、J-PHONEはボーダフォンを経て(元々ボーダフォンですが)ソフトバンクに買収されます。

KDDlの前身であるIDOはトヨタの自動車車載電話部門

そもそも自動車車載電話ってご存知でしょうか?

平たく言えばみなさんが今お使いのスマートフォンの元祖とも呼べる存在なのですが、サイズが箱ティッシュ2個分ほど、重さが消火器ほどでお世辞にも持ち運びが出来る代物ではありませんでした。バッテリーの持ちもフル充電から20分しか持たない鬼畜仕様(笑)

まぁ当時はこれでも最先端だったのですが、これを持ち運べる人はそうそういないので自動車のオプション品として設定されたのが始まりです。トヨタは近い将来、持ち運び式の移動電話が流行るだろうと目論みIDOを設立、業界第2位(1位はKDD)の株主になります。

当時珍しかったGPS内臓モデルをいち早く世に送り出せたのもトヨタが長年研究してきたカーナビ技術を携帯電話向けに転用できたからです。しかし思いのほか売り上げが伸びず、トヨタは自社の利益にお荷物となったIDOを「やっぱいらないや(゚Д゚)ノ⌒・」ってポイします。

しかし数年後、docomoを中心としたPDA方式(2G、docomoではmovaとして販売)が日本全国で大流行し、一度トヨタが手離したIDOもauとして業界2位まで急成長を果たします。それを見たトヨタは「立派に成長したね!帰っておいで(・ω・*)」と言わんばかりにKDDIの株を大量に買い戻しました。

一度独立させたこども(au)に対して親(トヨタ)が「生活(経営)補助してあげるから帰っておいで。ただ家にいる以上は家のルール(株主)もある程度聞いてね」ってイメージですね。今でもトヨタの販売店に行くとauのスマホが売られていたりするのはそういうことです。