首都高速はもともと○○だった(画像あり)

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かつて川であったことの名残り

自動車専用道路…別名首都高速道路。首都高速は1954年の東京オリンピック開幕に合わせて急ピッチで建設された歴史があります。その後も延長工事が続けられ今に至る流れとなっていますが、首都高速建設に当たる最大の壁が敷地の確保でした。

何もないところに建造するのなら話は早いのですが、東京は当時から建物が密集しており容易に取り壊しができる状態ではありません。立ち退きに関わる費用も莫大な金額にのぼるため、どうにかこうにか試行錯誤を繰り返した挙句に思いついたのが川の利用でした。

川の上なら橋以外の構造物がほとんどないため道路を簡単に敷くことができます。そこで川の上にコンクリートの蓋をし、上層には自動車道(高架)を、地下空間には従来の川をそのまま残すことで排水機能を…。これが今に至る首都高速の原型となったのです。

もちろん川の流れに沿って建造されているので必然的に急カーブが多くなります。首都高速のクネクネとしたカーブの連続はこうした要因からきているのですね。

ところどころに見られる橋脚

首都高速を走行していると不思議な光景に出くわします。同じ向きの車線なのになぜか2つに分岐したり、ただのトンネルではなくアーチ状の構造物の下をくぐったりと奇妙な現象が発生します。そもそもトンネルであればまっすぐ掘ればいいのですから2つに道を分岐する必要がないですよね。

実はこの現象…かつてそこに存在していた橋の下を通過することによって発生する特徴的な現象です。2つの分岐は橋の橋脚の部分、そしてアーチ状の物体は橋の下の部分です。つまりかつて川が存在してた部分(実際は道路の下に流れている)を車が走行していると言うことになります。