なぜ交通ルールを守る必要があるのか

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実は「貰っていない」免許証

一般的に免許を取得すると「免許くれた!」「免許貰えた!」なんて口にしますよね。でもね…実際には免許はくれてもいないし貰えてもいないんですよ。結論から言うと免許証は許可証です!

  • 「あなたは道路を運転する為に必要な技能と知識を手に入れたんだから、交通法規をしっかりと守ることを条件に免許証を貸し出すよ。守れないなら返してね!」

と言うのが法律上の正しい表現です。

つまり免許証とは国が本試験合格者に対して道路を走る為の許可証を貸し出したに過ぎず、実際の所有権は国…すなわち日本国に準じています。その為免許証にプリクラを貼ると「偽造免許」の扱いになり、この場合有印公文書偽造罪と偽造公文書行使罪の2つの刑法により罰せられるのです。

許可証という自覚をもつことが第一

みなさんが免許を取得したらまず最初にこう思って下さい。「これは許可証だからルールを守らなければ返せと言われるんだな」…と。世の中のドライバーを見ていると決して全員がルールを守って運転しているわけではありません。逆に言えばルールをしっかり守って運転している人も多くいます。

2018年の統計では「速度違反」を犯すドライバーの割合は46%…。逆に言えば54%は守っているというデータですよね。ですから「みんなが違反しているから?」と言った言い訳を武器に自分自身が違反をしてもいいと言った理屈は(多数決の原理だと)本来成り立たないのです。

この「みんなが…」と言った屁理屈は日本独自の文化です。これは日本の教育システムに根本的な原因があります。みなさんが小学生の頃、このような会話を聞いたことはありませんか?

  • 上履きを履かないと「なんで君だけ履かないの?みんな履いてるよ。」
  • テストの点数が悪いと「なんで点数取れないの?みんな頑張ってるよ。」
  • 校長先生の話の時に軍隊みたいに並ばないと「なんで並ばないの?みんな並んでるよ。」
  • 給食の割烹着を洗わないと「なんで洗わないのかな…みんなちゃんと洗ってるのに。」
  • 遠足にお弁当を持っていくかを尋ねると「みんなは持って行くってよ。」

と言った感じの会話です。どこに行こうがみんな、みんな、みんな、みんな、みんな…。つまり日本人は教育の中で集団と同じようにせよと言う概念を育てられ、それがデフォルトであるかのように生活を送っています。この「みんなが…」という概念を外国人は理解できません。

「みんながやってるからやるんだ!」と外国人に言うと「何で他人を気にする必要があるの?」と返ってきます。外国人は「個」であり日本人は「群」です。しかし世界的には圧倒的に「個」の文化が大多数であり、他人を気にする日本人はどちらかというとマイノリティーです。

ですから日本人は人目と他人からの評価を気にするあまり、できるだけ他人と合わせるような行動を行ってしまいます。これが良い意味で働くのが秩序で悪い意味で働くのが慣習です。留学中、あるアメリカ人が日本人のことを皮肉交じりに語っていたことを思い出します。

「日本人はプリウスとiPhoneとDSがあれば満足なんでしょ?」

責任を伴うのは決断を下したあなた自身

これは法治国家である日本も例外ではありませんが法律上の概念はあくまで「個」であり違反にしろ犯罪にしろ手を染めてしまえば最終決断を下したあなたに責任が生じます。違反で捕まって「他の人も違反してたよ!自分を捕まえるなら他の人も捕まえてよ!」なんて発想ほど愚かなものはありません。

警察側だって言われなくても捕まえますし、他の人が違反をしてようがしてまいが最終判断で違反を起こしたのはあなた自身なのです。逆にこの条件でしっかりルールを守る人もいるので守れなかった人の精神的な落ち度に他なりません。前述しましたが免許証の所有権は国にあります。

違反を犯した時点で国は法律に準拠し違反点数を加算します。当然拒否することはできませんし免許証を返納しろと言われても拒否する権利はありません。これを受け入れられないのなら日本という国の体質がそもそも合っていないのでしょう。それなら法律のないイラクとかに移住すれば良いのでは?

「ルールを守らないなら許可される資格がない。」

こう考えるだけで日常に潜む様々な違反行為を抑制する効果があります。それにルールを守っている以上はあなた自身に何の落ち度もないのです。これは何らかのトラブルに巻き込まれた際に裁判で勝つ為の優位性を持つことにも繋がります。自分自身を守る為にもルールはしっかりと守ることとが大切です。