技能教習(第二段階)

本当の死角は心の中に

目視忘れが起こす悲劇

目視とは自分の目で確認すること。教習用語では巻き込み確認と称する場合もあります。ちょっと油断してミラーだけで後方を確認してしまったり、いつも通ってる道だからと何にも確認せずに通過してしまうとタイミングによっては危険な事故に繋がってしまうのです。

統計上も安全不確認によって起こしてしまう事故が圧倒的に多く、ほんの一瞬でも確認をしていれば防げる事故が大多数なのです。そしていざ事故に遭遇するとほとんどの人はこう言います。

  • あのとき他の車に気づいていれば
  • タイミングがもう少しずれていれば
  • なんて運が悪いのだろう

だけどもう手遅れです。どんな言葉を並べても事故は事故であり、起こしてしまったと言う事実は変わりません。そして落ち度があったことも認めたくはないでしょうが、落ち度がなければ事故を起こすこともなかったはずです。これが因果応報。

逆に危険を発見できていながら事故が起きたのであればそれは「故意」ですから事故ではなく「事件」と言います。

自分には起きないと信じたいだけ

事故は誰も起こそうとは思いません。前述の通り意図的に事故を起こす行為は事件であるからです。今日も運転しながら「事故は絶対に起こさない」「事故が起きるのは自分ではない誰かだろう」と考えます。いや…そう信じこみたいだけです。

ほかで起きた事故が偶然自分ではなかっただけであり、そこに根拠のない安心感を結びつけたいだけなのです。そしていざ、事故が起きてしまうと「目視しなかった今回に限って…」と悔やみ始めます。しかし目視をしなかった今回に限ってと言う理屈はおかしいですよね。

目視しなかったからこそ事故にあったわけですから。

視覚的死角と潜在的死角

視覚的死角とは実際に目で見えない部分…壁の向こう側とか地球の裏側とかですね。一方で潜在的死角とは「こんなところに人はいないだろう」であるとか「飛び出しなんてないだろう」と言ったような、そもそも危険を探そうとしない心の死角です。

この心の死角こそが安全確認をしなくなる要因のひとつであり、予期できない事態に遭遇したときに対応が追いつかなくなります。例えるならFBI捜査官みたいなもので、普段は普通の仕事をしながら自分がFBIであることは他の人に隠して生活をしています。

ですから普段買い物をしている西友のレジの人や本屋で毛羽たきをパタパタやっているおじさんがFBIである可能性もゼロではありません。ですがそもそも「西友のレジを打ってるあの人はFBIだ」なんて考えもしないし疑いもしないですよね。これが潜在的死角です。

教習所では「だろう運転(憶測だけで確認しようとしない行為)」が危険と説明していますが、これも潜在的死角のひとつになります。この心の死角こそが運転において恐ろしい部分であり、前述のような「あのときこうしていれば」と言った考えに繋がるのです。

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