指導員によって教えられる内容が違うのですが?

教習所設立以来の課題です

ご質問の通り、指導員によって教えられる技能教習内容(学科教習は基本的に一度のみの受講なので)は残念ながら統一されていません。

これは日本に教習所制度が生まれてから現代に至るまで続く課題点であり、教習生から見ても困惑してしまう内容のひとつでしょう。

前回乗った指導員が「ここは40キロで走ってね。」と言っていたのに、次に乗った指導員からは「ここは30キロだから下げて。」と言われてしまえば正直誰でも“どっちだよ”と思いますよね。

だけどそれを口にはせずにきっと“……はい。”と答えて我慢をしているのだと思います。実際私が免許を取ったときも同じ経験をしましたから。

この場合本当に40キロの道を30キロと説明しているのであれば指導員側に不備がありますし、間違えた内容を教えることは適切ではありません。

ただほとんどの場合は指導員側の「説明不足」に起因するものが多いのではないかと私は思います。

なぜなら多くの教習生は「結論」を求めるのに対し、指導員側は「状況」を伝えたいからです。

教習生にとっては「黄色だったら止まる」「右折の際に対向車があのへんに来たら止まる」「駐車場の入口は絶対に空けておく」と言った確定情報が欲しいのです。それを覚えておくことで試験対策に繋げたいのです。誰も落ちたくはありませんからね。

しかし実際は周囲の環境変化なる要素か大きく絡んできます。例えば右折の際に対向車が200m先から向かって来た場合、指導員は「今なら行っていいよ。」というかもしれませんが、次に乗った時には「行かないで!」と言われるかもしれません。

教習生にとっては「前回は(あの距離なら)行っていいって言われたのにな……。」と感じるかもしれませんが、同じ200mであっても対向車の速さによって状況は変わります。

たとえ対向車が300m先でも100キロ出していれば数秒でこちらに到着しますし、逆に50mという短距離であっても徐行であればこちらに到着するのにそれなりの時間がかかります。

ようするにただ単に右折と言っても対向車の距離と速度のバランス、曲がった先での混み具合や横断歩行者などの確認、他の車の予想外の動きなどを総合して判断しないといけません。

さきほどの速度の件についても周辺の環境が危険だった為に速度を落とした可能性もありますし、ただ単に指導員が間違えた場合もあるでしょう。

もし前者であれば“なぜ速度を落としたのか”をしっかりと説明すれば教習生も「状況に合わせて対応するんだな」と理解してくれると思います。

逆に指導員にはこれらを理解させるために説明する義務があると考えるのです。正直“放置”ほど残酷なものはありません。エイリアンのようにテレパシーが使えるわけではありませんから、しっかりと言葉で説明した方がお互いの為です。

それでもなくならない不統一性

説明の統一が不可能であることは“状況”が絡んでくるからと前述した通りですが、状況が絡まない……例えば車の乗り降りの手順であるとか出発の手順であるとかですね。

これは逆に統一しておかないと非常に困るものになります。

しかしながら現状では少なからず相違が生じてしまうことを否定することはできません。指導員にも能力的に差はありますし、向き不向きもあれば勘違いして覚えている可能性もあります。

これは人間が人間たるゆえの宿命でもあり、どうしても統一性を求めるのなら人ではなくアンドロイドにすべてを委託するべきです。

「差別をなくしましょう!」と言われてから一体何世紀の時間が流れたのでしょうか。理想は確かに差別のない社会かもしれませんが、現実で見れば人間が自我と多様性をもつ限りは無理でしょうね。

しかしこれらを機械にまかせれば可能です。人間が完全なる理性を得るためには滅びるしかないのです。

教習内容の不統一も教習生に困惑と不安を与えないために出来る限りなくすように心がけることは大切ですが、教習に限らずすべての人の意見を統一させることは人類が進化しない限り不可能であることをご理解下さい。

決して諦めるという意味ではなく現実的に。当然指導員が全員クローンであれば能力値や知識に差違がないので可能かもしれません。

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