運転には決められた答えがない理由
右左折で合図をつける時期が違う、寄せ方が違う、目の向け方が違う、さっきの指導員が言っていた内容と今回の指導員が言っている内容は明らかに違う…。これらは教習所に通っている人から見れば一度くらいは遭遇しているかと思います。いや…かなりの頻度で遭遇している可能性もありますよね。
これは教習生だけではなく指導員側も認知している内容であり、教習内容の不統一は日本で初めて教習所が開業した1915年当時から続く課題でもあります。これらは「差別をやめましょう」と言いながら100年経っても解決しないのと同じで、ヒトがヒトである以上どうしようもない現象です。
唯一の改善策は人類が自我を放棄してアンドロイド化するしかありません。そうすれば決められたプログラム以外の行動は確実に出来なくなります。差別も同様に人類をアンドロイド化して思考もコントロールすれば容易になくすことが可能です。ただ人間を捨てることになるのでそれを求めるか求めないかは別の話…。
基本的に教習内容の不統一さを感じるのは学科教習ではなく技能教習であることがほとんどです。なぜなら学科教習においては教科書を基準にして話を進めるので単一のストーリーしかありませんが、技能教習に関しては周辺環境の影響を直接的に受けるのでその場に応じた判断が必要になります。
例えば前方の信号機が黄色の灯火であった場合、停止するか進行するかの判断基準はどこにあるのでしょうか?
この場合ほとんどの教習生は「安全に停止することができない場合に限り黄色の灯火でも進める」と教科書に書いてある通りに判断すると思います。当然教科書に書かれている内容なので間違いではなく正解です。これが瞬時に頭に浮かんだ人は日頃からよく勉強していると思います。
しかしながら頭で理解をしていてもこれらを実際に行動に移すことは非常に大変です。運転に不慣れなうちは焦りや不安感から視野を狭く見てしまう傾向があるからです。そうすると周囲の景色よりも目の前の信号の色や停止線の位置に目線が集中してしまい、左右や後方の状況確認まで意識が回らないことが多々あります。
これらの総合的な「状況」により黄色の灯火でも進むか進まないかの判断が分かれるのですが、多くの教習生は状況よりも「信号の色」と「停止線の位置」で判断をしがちです。しかしながら指導員は後方から迫る車の距離を換算して、追突しそうであれば黄色の灯火のまま通過させることもあります。
ここで前述したような「さっきの指導員は黄色の灯火で止まったのに、今回の指導員は何故進ませるんだろう?」といった不統一さを感じてしまうことがあるのです。しかしながら運転に関しては「ひとつの答え」ではなく「様々な答え」が存在し、周囲の環境によりそれらは大きく変化します。
教習生側から見れば恐らく「決まった答え」が欲しいのだと思いますが、残念ながら自動運転でもない限りそれらは不可能です。例えば「大地震が発生したら机の下に隠れる」という決められた答えしかなかった場合、仮に津波が襲ってきたら溺れてしまいますよね。これらは不統一ではなくその場に応じた状況判断です。
一方で指導員側が認識している問題はルール上におけるものです。ルールはひとつですから不統一があってはいけません。少しでも内容に疑問を感じた場合は指導員にその理由を訪ねてみましょう。常に「何故こうするのか?」という疑問を持ち続け、理解を繰り返すことで知識がより強固なものとなります。