「S字とクランクのコツ」の内容を最新版に更新しました。画像をより詳細な物にリファインしました。

交通安全先進国になるために

運転上達

自動車教習所にも限界がある

当たり前のことですが、教習所では運転に必要な技量や知識、そしてモラルを伝達することで優良な交通ドライバーの育成を行います。

しかしどんなに優良ドライバーの育成を試みたからといって、この社会から違反や事故がなくなるわけではありません。

違反や事故の原因のほとんどはヒューマンエラー、すなわち人間の判断ミスです。「車が暴走して……」はあまり聞きませんね。人がアクセルを踏んで暴走した事例はチラホラありますが。

これは人間が自我(性格)をもつ生き物であるがゆえの必然であり、これらを防ぐには機械にすべてをまかせるか、脳内にチップでも埋めるかくらいしか選択肢はありません。

つまり教習所の掲げる「事故のない社会の実現」とは所詮表面上の理想論であり、本気で実現をさせるには人間から自我を消し去る必要があります。

いずれにせよ人の体内にチップを埋めこむ時代は確実に往来します。教習所と同様に表面上は「メディカルチェック」とか響きの良い語呂を並べておいて、おそらく実際は人の監視でしょうね。

固有の識別番号を設定することで、駅の改札や自動ドアに設置したセンサーに反応して個人の現在地が特定できてしまいます。つまり犯罪者の識別番号を入力することで現在地が把握できるシステムですね。

ちなみに技術はすでに確立されています。あれ、そういえばマイナンバーなんていう制度が最近できたような……あとはご察し下さい(笑)

いずれ違反をすると脳内のチップが破裂して命を落とすようなプログラムが入ってしまうと大変ですね。リアルデスノートです。

確かにこの方法なら死にたくなければ嫌でも守らざるを得ません。モラルの低下を自由と誤認した末路がこれです。民衆を制御できなければ法律で固めてしまう事例は歴史が証明しています。

そうならないことを祈るしかありませんが、このままモラルが低下し続けるとどうなるのか分かりません。出来る人だけを残し、違反(犯罪)をするような未完成品は排除しよう……なんかどこかの大学のAIがそんなこと言ってましたね。

安全運転の環境づくりは国にしかできない

前回の記事で「日本は免許取得の厳しさの割には環境づくりができていない。」と述べましたが、今回はこの流れを汲んでいきます。

日本では本格的な交通ルールを教習所にて学習させます。ようするに裏を返せば早くても16歳(普通二輪)以上にならないと本格的に学習できないことを意味します。

当然ある程度自我が形成されてからの学習になるので、人によって安全運転に関する捉え方に相違が生まれてしまうのです。

逆に自我の薄い幼少期~小学生くらいの時期であれば自分で考えるよりもありのままの状況を受け入れやすい傾向があります。

結論としては運転自体の技術的な面においては従来のままとし、交通ルール全般に関わる知識やモラルにおいては小学校でのカリキュラムに入れた方が明らかに効率的です。

なぜなら取るか取らないか不明確な教習所であるよりも、日本国民であるなら誰もが通る義務教育下の方が取りこぼしがないからです。これは以前の記事で掲載した応急救護措置にも言えます。

しかし実際に小学校の現場が大変であることも理解できます。それにプラスして効率安全カリキュラムに手をまわす余裕もありません。

しかしやるかやらないかは別として、方法としてはこれしかありません。あとはある一定の年齢に達したら強制的に安全講習を受けさせるかくらいでしょうね。

現実案としては小学校における「道徳」の時間を「交通ルールとマナー」的なものに変えてもいいかもしれません。

そもそも道徳の時間って必要ですか?

もちろん現職の方やその方面に詳しい方ならその必要性も分かるのかと思いますが、自分は小学校時代に道徳の時間に何をやったかなんて全く記憶にありません。

当然記憶にないので生かされてもいません。「あのときの道徳の経験があるから今の私があるんだぁ!」なんて思ったことがある人はいるのでしょうか。

小学校は教育委員会の立場が強かったり保護者の意見が怖かったり色々と神経を遣われている職と認識しておりますが、もう少し教員に強い立場を与えて自由に学習環境をつくっても良いかと思います。

現職の教員たちで教育委員会を再結成した方が日本の未来になるような気がします……まぁ持論ですが。

結論としては大切な内容ほど義務教育下で行わせた方が良いという考えです。特に交通ルールはまわりまわって自分達に返ってきますからね。

自分の身内が事故にあっても文句の言えない社会にならないよう、「事故を起こさない運転が当然だ!」と誰しもが思えるような社会になればいいと思います。

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